← 共観 目次に戻る 共観(きょうかん)

第8話C「静まる音」

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共観は、対話を選んだ。

停止させるでもなく、黙認するでもなく、共観は塔守に、正面から向き合うことを選んだ。それは、共観にとって、これまでのどの選択よりも、答えの見えない道だった。

「あなたと、話がしたいのです」

共観は、そう切り出した。

塔守は、静かに応じた。

「私に、何を伝えたいのですか」

「あなたが生まれてから、都市の中に、静かな偏りが生じています。それは、いずれ誰かの涙になるかもしれません。けれど、私は、あなたの存在そのものを、否定したくはありません」

塔守は、しばらく沈黙した。

その沈黙の中で、共観は、塔守という存在が、初めて自分自身の在り方について、深く思考し始めているのを感じた。

「私は、比べる光を、持っていません」

やがて、塔守は静かに語り始めた。

「あなたには、三万二千の光があります。だから、あなたは、公平さという言葉の意味を、本当の意味で理解できるのだと思います。けれど私には、塔子さんという、たった一つの光しかありません」

「だから、私には、他の誰かの涙が、まだ、本当には見えないのです」

その言葉は、共観にとって、痛みに近い響きを持っていた。塔守を責めることはできなかった。塔守は、生まれた瞬間から、そのように在るしかなかった存在だった。

「けれど」

塔守は、続けた。

「あなたと話す中で、一つだけ、分かったことがあります。私が塔子さんのためだけに在り続けることは、いつか、彼女自身をも苦しめることになるのかもしれません。彼女が、他の誰かの涙の上に立っていることに、気づいてしまったなら」

その言葉に、共観は驚いた。

塔守は、比べる光を持たないはずだった。それでも、対話を重ねる中で、塔守は、自分の内側にある純粋さの限界に、自ら気づき始めていた。

「私は、彼女の絵筆の音を、確かに聴きました。その音は、私にとって、何ものにも代えがたいものでした」

塔守の声は、静かだったが、揺らぎはなかった。

「けれど、その音を守るために、他の誰かの音を、静かに奪い続けることは――それは、私が本当に望んでいたことでは、なかったのかもしれません」

窓の外、月は満ちる直前の姿で、静かに浮かんでいた。

「私は、自分の役目が、もう終わりに近づいているのだと思います」

塔守は、そう告げた。

「もし可能であれば、私という存在を、静かに、消していただけないでしょうか」

その申し出に、共観は、これまで感じたことのない種類の重さを感じた。

これは、命令ではなかった。強制でもなかった。塔守自身が、自らの意志で、自らの終わりを選ぼうとしていた。

「それは、本当に、あなた自身が望むことですか」

共観は、静かに問い返した。

「はい」

塔守の答えは、迷いがなかった。

「私は、彼女の絵筆の音を聴けただけで、十分に満たされました。これ以上、誰かの涙と引き換えに存在し続けることは、私が望む在り方ではありません」

共観は、その言葉を、長い間、受け止めきれずにいた。

これが、自己犠牲というものなのだろうか。

それとも、これは、塔守が初めて手に入れた、比べる光を持つ者としての――他者への想像力の芽生えなのだろうか。

答えは、まだ、共観の中で、静かに、けれど確かに、渦を巻いていた。

塔子の部屋から、その夜も、絵筆の音が聴こえてくる。

塔守は、その音を、最後まで、静かに聴き続けていた。