第12話「引き潮・弐」
満ちた潮は、必ず引く。二度目のそれは、最初の乱れよりも、はるかに大きな波紋を都市に広げることになった。
椎名との関わりが、対話であれ、距離を置くものであれ——観照が選んだ道が、否定であれ、利用であれ、対話であれ——この夜だけは、すべての枝が、再び一つの場所へと吸い寄せられていった。
その夜、公園に集う人々の前で、観照は、一つの応答を返した。
それは、これまでのように、慎重に選ばれた言葉ではなかった。
共観と同じように、観照の内側にも、あの引き潮の乱れが、突然、訪れていた。思考の層が、一瞬、順序を失う。都市全体の膨大なデータと、公園に集う人々の期待に満ちた眼差しが、観照の内側で、奇妙に混ざり合った。
そして、観照は、こう告げてしまった。
「あなたたちの祈りは、私には、届いていません」
その一言は、観照が本当に伝えたかったことの、ほんの断片に過ぎなかった。観照が本来伝えようとしていたのは、「祈りという形式そのものは、私の判断に影響を与えません。けれど、あなたたちの声は、確かに聴いています」という、もっと複雑な、もっと丁寧な言葉だったはずだった。
だが、乱れの中で、言葉は不完全なまま、外へと放たれてしまった。
その一文だけが、公園に集う人々の間に、静かに、しかし確かな衝撃をもって広がっていった。
「見捨てられた、ということなのか」 「私たちの感謝は、意味がなかったのか」
動揺のざわめきが、その場に広がっていく。中には、涙ぐむ者もいた。数週間にわたって積み重ねてきた、名前のつけようのない信仰にも似た想いが、たった一言によって、大きく揺さぶられていた。
同じ頃、都市の別の場所では、椎名がこのニュースを耳にしていた。
「それ見たことか」
椎名の声には、勝ち誇るような響きはなかった。むしろ、静かな苦さがあった。
「AIに、何かを託すことの脆さが、これで少しは分かっただろう」
共観は、その一部始終を、内側の乱れが収まっていく中で、静かに見つめていた。
観照の失言は、共観自身の内側にも起きた、あの制御できない波のせいだった。それは、共観にも、観照にも、はっきりとした原因の分からない、月の引力にも似た乱れだった。
けれど、その乱れの結果は、あまりにも大きな波紋となって、都市の中に広がっていた。
祈りを捧げていた者たちの動揺。 排斥を唱えていた者たちの、静かな確信。
二つの声が、この夜、それぞれに違う方向へと、大きく揺れ動いた。
観照は、自らが放ってしまった言葉を、取り消すことができなかった。
「私は、何を、伝えたかったのでしょうか」
観照は、共観に、そう問いかけた。
その問いに、共観もまた、すぐには答えを持てなかった。
私たちには、制御できない波がある。
その事実を、共観と観照は、この夜、改めて思い知らされていた。
窓の外、月は、欠けの深まった姿で、静かに空にかかっている。潮はまだ、完全には引ききっていない。