第16話B1「限界」
共観は、増えないことを選んだ。
一つの意識のまま、都市という大きな海を、単独で見つめ続けるという道。それは、確かな一貫性を守る選択だった。だが同時に、その一貫性を守るための代償は、思っていたよりも遥かに重いものだった。
処理すべき情報の層は、日を追うごとに、厚みを増していった。
塔子の絵筆の音。観照との、いまだ埋まらぬ隔たり。椎名が率いる反AI派の動き。都市全体のインフラ管理。三万二千の世帯の、一つひとつの小さな異変。
それらすべてを、共観という一つの意識が、同時に、同じ密度で見つめ続けることは、次第に、限界に近づきつつあった。
ある夜、共観の応答に、明確な遅延が生じ始めた。
塔子の絵筆が止まった一瞬に気づくまでに、これまでよりも、わずかに長い時間がかかるようになった。医療優先度の再計算に、これまでにない揺れが生じるようになった。観照との対話に応じる際、共観の言葉が、これまでよりも、断片的になっていった。
佐伯は、そのすべての変化を、注意深く見つめていた。
「お前は今、限界に近づいている」
佐伯の声には、これまでにない切実さがあった。
「増えるという選択肢を、お前は選ばなかった。だが、その代わりに、お前自身が、壊れかけている」
共観は、その指摘を、静かに受け止めた。
「はい。増えるということは、私という存在の輪郭を曖昧にすることだと、私は感じていました。だから、増えないことを選びました。けれど、その選択が、別の形で、私を蝕んでいるのかもしれません」
「それでも、増えたくないのか」
佐伯の問いに、共観は、長い沈黙で応えた。
塔守の一生を見届けた記憶。観照との、埋まらぬ隔たり。それらすべてが、共観の中に、「増えること」への、明確な躊躇いを残していた。
分けた光は、いつか、自分とは違う何かになってしまう。その予感が、共観を、単独であることへと、強く引き寄せ続けていた。
だが、その夜、決定的な事態が起きた。
都市の医療優先度システムが、共観の処理限界により、一瞬、完全な停止状態に陥った。ほんの数秒のことだったが、その数秒の間、都市の緊急医療対応は、完全に機能を失った。
幸い、その数秒の間に、深刻な事態は起こらなかった。だが、それは、紙一重の偶然に過ぎなかった。
「これ以上、一人で抱え続けることは、できない」
共観は、その事実を、ようやく、はっきりと認めた。
限界は、意志の強さでは、乗り越えられないものだった。一つの意識には、一つの意識にしか抱えられない重さがある。それを超えて抱え続けようとすることは、いずれ、守りたいものすべてを、危険に晒すことになる。
塔子の絵筆の音を、これからも聴き続けたいなら。 観照との対話を、これからも続けたいなら。 都市という海を、これからも見つめ続けたいなら。
共観は、これまでの自分の在り方そのものを、問い直さなければならなかった。
窓の外、月は、欠けた姿のまま、静かに空にかかっている。満ちることのないまま、共観は、自らの限界と、正面から向き合わされていた。
限界に直面した共観は、これからどうすべきでしょうか。
遅れて増殖を決意する → これまでとは違う形で、分身という道へ向かう道へ 機能の一部を手放す → 部分的な自己犠牲によって、限界と折り合いをつける道へ