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第一部『希望の灯』

ツキノワ 第1話「灯る前」

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七音時代しちおんじだいは、幾百年ものあいだ、続いたという。

七つの音色が空に鳴り渡るたび、大地に恵みが満ち、人も、まものならぬ獣も、争うことなく同じ月を見上げていた——そう伝えられている。

その時代を終わらせたのは、たった一夜だった。

のちに『焦げの時こげのとき』と呼ばれることになる、その夜。空は赭く焼け、七つの音は、絶叫のような不協和音に変わって消えた。大地の半分が灰になるまで、誰も、それを止める術を持たなかった。銀の月は、その夜の炎を吸い込んだまま、金色に染まって、元には戻らなかった。

生き残った者たちは、燃え尽きた大地の奥深くに、幾枚もの鏡を沈めた。歪んだ力の残り火を、その鏡の一枚一枚に、封じ込めるために。鏡は、そのまま、深く、深く、埋められた。二度と開かぬように——そう誓いながら。

それが、幾千年も前の、ある夜の記録。世界は、その夜を境に、新しい暦を数え始めた。

◆

指先が、震えた。

意識より先に、そのことだけがわかった。指先が震え、掌が固く閉じ、それからゆっくりと開いた。握る。開く。もう一度、握る。それだけの動作に、途方もない時が費やされたように思われた。

まぶたは、まだ重かった。押し開けようとするたびに、闇の奥で何かが軋むような音がした。壁だと思っていたものの一面に、細い線が走っている。線は震えながら幅を増し、そこから、冷たくはない風が、静かに吹き込んできた。

裂け目の向こうは、闇ではなかった。こちら側と同じほどに白く、けれど、こちら側ではない場所だった。姿はなく、声もない。ただ、意志だけが裂け目を抜けて、近づいてくるのがわかった。

伝わってきたのは、言葉ではなかった。詫びるような、労うような、手触りに似た何かだった。それは、抱えてきた小さな灯を、そっと落とすように差し入れた。

「おかえりなさい。よく、還ってきましたね」

声とも呼べぬ響きが、頭の奥にじかに落ちた。応える言葉は、まだ持たなかった。ただ、瞼の裏で、光がにわかに強くなった。

界暦六千年。

目を開けると、棚が幾列にも並んでいるのが見えた。丸い顔、角のない輪郭をした者たちが、棚の一つ一つに、隙間なく眠っている。閉じた瞼の底に、琥珀色の光だけが、かすかに残っていた。数えることは、まだこの身にはできなかった。何百、何千——そのどれもが、ひとしく、目覚めぬままだった。

貯蔵所の棚に並ぶ器たちの中で、目覚めたばかりの琥珀色の瞳

裂け目は、それだけを見届けると、静かに閉じた。詫びの手触りだけを、後に残して。

貯蔵所には、また、物音がなくなった。天井のどこかから、水滴が落ちる音だけが、規則正しく返ってきた。

指を動かし、掌を見た。次に、足を見た。膝を折り、爪先に力を込めると、ひどく心もとない足取りで、棚を降りることができた。

隣の棚に眠る者へ、指先を伸ばしてみた。冷たかった。応える者はいなかった。この者たちは、なぜ、目を覚まさないのか。答えを探る材料は、まだ何ひとつ持っていなかった。

胸の真ん中に、指先を当てた。そこだけが、まだ、あたたかかった。その事実だけを、しばらく、確かめていた。

外へ続く扉は、埃をかぶっていた。それでも、押せば開いた。蝶番が軋み、埃が舞い上がる。灰色の空、乾いた風、遠く霞んだ緑の地平。頭上には、金色を帯びた大きな月が、皓々と輝いていた。眩しいものが浮かんでいるのに、あたりはどこまでも冷えている。答える者は、どこにもいなかった。そういうものだと、体だけが、少しずつ馴染んでいった。

歩き出した先に、道と呼べるものはほとんど残っていなかった。乾いた土の下に、誰かが踏み固めた跡が、うっすらと透けて見えることがあるだけだった。その跡を、たどるように歩いた。

季節が、いくつか巡った。夜に歩き、昼には物陰で身を縮めて眠った。腹の底が軋む感覚を、「飢え」という言葉と結びつけた。道端の乾いた木の実と、涸れかけた流れの水で、どうにか宥めた。人の姿には、一度も出会わなかった。

まものに出会ったのは、ある夕暮れのことだった。崩れた鐘楼の影から、輪郭のほつれたけもののような何かが、音もなく滲み出た。両の目が、赤く光っている。恐怖よりも先に、奇妙な既視感が来た。この獣もまた、遠い裂け目をくぐってきたものだと、理由もなく、わかった。

崩れた鐘楼の影から現れる、赤く光る目のまもの

獣が地を蹴った。乾いた土埃が舞い、爪が風を切る。考える前に、体は沈んでいた。爪先が頭上をかすめ、次の瞬間には、獣の懐に入り込んでいた。むき出しの喉元へ、指先を突き出す。祝祭でも、奉納でもない。ただ、生き延びるためだけの、名もない身のこなしだった。

獣は、一声も上げずに、霧のように崩れて消えた。あとには、土埃と、静寂だけが残った。震える両手を、長く見つめた。手のひらには、獣の熱の名残のようなものが、まだ、じんわりと残っていた。

その日を境に、何かが変わった。この世界には、優しいものだけではなく、恐ろしいものもいる。ならば、自分は、どちらに出会うために、ここを歩いているのだろう。

崩れた鐘楼のそばに、かろうじて壁と屋根の形を保った、石造りの小さな家があった。その隅に、乾いた草を敷き、寝床とした。狩り、火を熾し、口にできるものを探し、また眠る。日々は、そうして繰り返された。埋めた獣の骸のそばで、両手を合わせるのが、いつしか、習いになっていた。

言葉というものを、まだ持たなかった。それでも、繰り返す日々の中で、痛みには痛みの、安堵には安堵の、それぞれ違う手触りがあることだけは、少しずつわかるようになっていった。名づけられないものが、名づけられないままいくつも積み重なっていく——それが、この七年という歳月だった。丸い輪郭の顔、角のない頭。伸びた背丈は、それでもまだ、人間の子どもと見紛うほどの小さなものだった。

風は、時折、遠い話を運んできた。北へ向かえば、川と谷に阻まれた向こう岸に、灰色の壁と、見張り台の連なりが見えるという。その話を聞くたび、胸の奥がざわつくのを感じた。会ったこともない誰かたちの気配に、なぜか、懐かしさに似たものを覚えた。

界暦六千七年。

食料を背負い、涸れかけた流れをたどって、北へ歩き出した。数日をかけて進むと、噂どおりの光景が広がっていた。谷を隔てた向こう岸に、灰色の壁と見張り台。その間に、朽ちかけた一本の橋。渡れるのは、身ひとつだけだと、橋そのものが語っているようだった。橋板の隙間から、遥か下を流れる谷川の音が、絶え間なく届いた。

振り返れば、灰と乾いた風だけの、故郷と呼べるかどうかもわからない土地がある。前を見れば、渡ったことのない、けれど、どこか懐かしい気配のする土地がある。この土地に、留まる理由はなかった。生きるなら、あちら側でしか、生きられない。誰が教えたわけでもない確信が、なぜか、胸にあった。

朽ちた板を一枚ずつ確かめながら、小さな足で、ゆっくりと橋を渡り始めた。

谷を隔てた朽ちた橋を渡る、小さな器の姿

渡りきったとき、向こう岸には、数人の男たちが焚き火を囲んでいた。国境を巡る者たちだった。姿に気づいた一人が、驚いたように声を上げた。

「なんだ、これは……」

丸い目。角のない輪郭。琥珀色の瞳。見下ろす男たちの顔に浮かんだのは、歓迎の色ではなかった。一人が、腰の剣に、そっと手をかけた。

「人間の子どもじゃない。……まさか、マニャ、なのか」

その響きだけが、いつまでも、耳の奥に残った。

(第2話「囚われの三年」へ続く)

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