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第一部『希望の灯』

ツキノワ 第4話「継ぐ灯」

「……顔色が、悪いな」

ショウは、笑ってみせようとした。うまく笑えなかったのか、リオの目が、さらに細くなった。

「隠しても、無駄だぞ」

リオに手を取られ、ショウは、抗うことができなかった。導かれるまま、寝床に座らされる。壁際には、いつかリオが譲ってきた、古びた毛布が丸めて置かれていた。あの夜からずっと、二人で使い続けている毛布だった。窓の外では、市場の呼び込みの声が、変わらぬ調子で響いていた。何も変わっていないはずのその声が、今日だけは、やけに遠く聞こえた。

「いつからだ」

「……この夏の、初めから」

「言わなかったのは、なぜだ」

ショウは、しばらく答えられなかった。膝の上で、両手を握り合わせた。

「言えば、心配をかける。それだけだった」

リオは、何も言わずに、ショウの手を、握り合わせたところから、そっと解いた。答えてしまうと、抗う理由もなくなった。ショウは、指の関節がこわばること、朝、立ち上がるのに時間がかかること、水面の光が薄くなっていることを、順番に話した。話すたびに、声が、細くなっていくのがわかった。

リオは、しばらく黙って聞いていた。それから、ゆっくりと息を吐いた。

「そうか」

たったそれだけだった。責めるでも、慌てるでもなく、静かな相槌だった。

その晩、リオは、ショウの擦り切れた袖口を、黙って針で繕った。不器用な手つきで、糸は何度もよじれた。針を持つその手は、暗黒街の水たまりの前で初めて差し出された手と、同じ手だった。荒れて、傷が増えていたが、温かさだけは変わらなかった。ショウは、その様子を、ただ黙って眺めていた。何かを言えば、この時間が終わってしまう気がした。

界暦六千三十年代、季節がいくつか巡るごとに、ショウの体は、着実に重くなっていった。木箱を担ぐ仕事は、いつしか若い誰かに譲られていた。歩く速さも、以前の半分ほどに落ちていた。

ある朝、寝床から起き上がれずにいると、リオが黙って水を運んできた。何も聞かず、椀を口元まで運んでくれた。水は、ぬるく、土の匂いがした。それでも、喉を通る感触だけは、心地よかった。ショウは、その手つきに、暗黒街の屋台で初めて椀を受け取った夜のことを、遠くに思い出していた。

市場では、かつて石を投げてきた子どもたちの何人かが、もう大人になっていた。すれ違うとき、彼らはもう、指を差すことはなかった。ただ、黙って道を空けるだけだった。ショウは、その静かさが、歓声よりも、ずっと重く胸に残った。

木箱を運ぶ仕事を譲られた若者は、代わりに、収穫祭の日の余った菓子を、時折届けにきた。「借りができた分だ」とだけ言って、すぐに帰っていく。ショウは、その菓子を、いつも半分だけ食べ、残りをリオのために取っておいた。分ける手つきは、あの屋台で椀を分けてもらった夜と、驚くほど同じだった。

かつて木刀を握らせてもらった広場の前を、ショウは、そのまま通り過ぎた。広場の隅で、リオが誰かと笑い合う声が、しばらく背中を追いかけてきた。

冬が来ると、リオは、薪を惜しまなくなった。以前は、二人分の暖を、一つの火鉢で分け合っていた。今は、ショウの寝床のそばにだけ、もう一つ、小さな火鉢が増えていた。

夜、水を飲むために起き上がるだけで、しばらく息が整わないことがあった。ショウは、それを、もう隠さなかった。隠したところで、リオにはすぐに気づかれた。

ある夜、ショウの顔を覗き込みながら、リオが言った。

「もう、長くはないんだろう」

問いではなかった。確かめる言葉だった。ショウは、頷くことしかできなかった。その拍子に、視界が、また白くにじんだ。

「なら」

リオは、少しの間、黙り込んだ。窓の外では、夜風が、板戸を小さく鳴らしていた。

「俺が、連れて行ってやる。お前が望んだ姿まで」

ショウは、その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。ただ、リオの手が、自分の手を強く握っていることだけが、確かに伝わってきた。

「……人間に、なれるのか」

「なれる、というより。もう一度、この世界に生まれ直す。今度は、望んだ姿で」

リオは、それ以上、詳しくは語らなかった。ショウもまた、聞き返す気力を持たなかった。ただ、握られた手の温かさだけが、いつまでも残っていた。

ショウは、しばらく、窓の外の暗さを見ていた。それから、ようやく口を開いた。

「一つだけ、聞いていいか」

ショウが言うと、リオは、先を促すように頷いた。

「あなたは、また、見つけてくれるのか。……次の姿でも」

リオは、しばらく黙ってから、いつものように、少し困ったような笑い方をした。

「さあな。だが、俺は、いつも見つけている。今までも、そうだったろう」

それは、答えのようで、答えではないようにも聞こえた。ショウは、それ以上を、聞き返さなかった。

翌朝、リオはショウの手を引き、市街地区の外れへ向かった。道の途中、木々の葉が、風もないのに一枚、また一枚と落ちていった。歩くのに、何倍も時間がかかった。それでもリオは、急かすことなく、ショウの歩幅に合わせて歩き続けた。

這うように伸びた蔓草の下、古びた戸の家があった。戸の前で、リオは、一度だけ足を止めた。ショウの手を、少し強く握り直してから、戸を叩いた。しばらくして、白髪の女が顔を出した。

「調律者、と呼ばれている方に、会いたい」

女は、ショウの丸い輪郭と、リオの真剣な顔を、順に見た。それから、無言で戸を大きく開けた。

家の中は、蝋燭の匂いがした。老いた男が、机の前に座っていた。目だけが、驚くほど澄んでいた。

「見ない顔だ。……お前は、あの南の遺跡の民か」

「はい」ショウは、それだけを答えた。

「この子を」リオは、ショウの肩に手を置いた。その手は、かすかに、震えていた。「人間として、もう一度、この世界に送り出してやってくれないか」

調律者は、長い間、何も言わなかった。蝋燭の芯が、小さく爆ぜる音だけが、部屋に響いた。

「お前は、この子の、何なんだ」

リオは、少し困ったように笑った。

「さあな。強いて言うなら……遠縁の、兄のようなものか」

調律者は、その答えに何か思うところがあったのか、ふっと目を細めた。それから、静かに頷いた。

「その願い、確かに受け取った。今夜、支度をしておくといい」

「これから、どうなる」ショウは、初めて自分から問いを口にした。

「今夜、目を閉じて、眠るだけだ。目を開けたときには、赤子の目で、この世界を見ている」調律者は、そう言ってから、少しだけ声を和らげた。「怖がることは、何もない」

家に戻る道で、リオは、口数が少なかった。ショウもまた、何を話せばいいのか、わからなかった。ただ、帰り道の半分ほどを、リオに背負われて過ごした。背中越しに伝わる体温だけが、体の芯まで届いた。道端の店先から漂う、夕餉の匂い。誰かの笑い声。ショウは、その一つひとつを、深く吸い込んだ。

その夜、ショウは、寝床に横たわりながら、体の底から、ゆっくりと力が抜けていくのを感じた。指先を握ろうとしても、うまく力が入らなかった。天井の木目を数えることも、もう、できなくなっていた。

「なあ」

リオの声が、すぐそばで聞こえた。

「次は、どんな声で、呼んでくれる」

ショウは、答えようとしたが、うまく声にならなかった。ただ、頷く代わりに、リオの手を、そっと握り返した。

「灯りは、消さないでおく。……お前が、迷わないように」

リオは、そう言って、寝床の脇の小さな灯芯に、火を灯した。橙色の光が、壁に、二人分の影を長く伸ばした。ショウは、重なり合う二つの影が、壁の上でわずかに揺れていることに、目を留めた。

部屋の隅には、繕われた袖の上着と、あの古びた毛布が、きちんと畳んで置かれていた。次に目を覚ましたとき、これらはもう、ここにはないのだろう。ショウは、その毛布の縁に、指先で、そっと触れた。

まぶたが、重くなっていく。最後に見えたのは、リオの、いつもと変わらない、穏やかな顔だった。

(第5話「生まれ直し」へ続く)

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