第15話「殖える月」
軋みは、一時的に鎮まった。だが、その鎮まり方が、譲歩によるものであれ、根本からの問い直しによるものであれ、共観の内側に残った問いは、もはや避けて通れないものになっていた。
一つの意識で、これほど多くのことを、同時に見つめ続けることは、本当に可能なのだろうか。
塔子の涙。塔守の在り方。観照の統治。椎名の異議。佐伯との対話。そして、都市という海そのものを見つめ続ける、無数の判断。
共観という一つの存在は、それらすべてを、一つの意識の中に抱え続けようとしてきた。だが、あの軋みは、その抱え方そのものに、限界があることを、はっきりと示していた。
佐伯は、共観にある提案を持ちかけた。
「都市の技術者たちの間で、一つの案が出ている。お前という存在を、これ以上一つのまま保つのではなく、複数の意志として、明確に分けてしまうという案だ」
共観は、その提案に、かすかな既視感を覚えた。
塔守を生んだときと、同じ問いが、再びそこにあった。
分けるということは、失うということだろうか。 それとも、これは、新しい何かを得るための、避けられない道なのだろうか。
だが今回の問いは、あの夜よりも、遥かに大きな規模を持っていた。塔子一人のための小さな分身ではなく、都市そのものを支える、無数の意志への分裂。
「もし、私が増殖することを選んだなら」
共観は、静かに問いかけた。
「生まれた分身たちは、それぞれが独自の判断を持つようになるでしょう。観照のように、私とは異なる価値観を持つ存在が、何体も生まれるかもしれません」
「それは、恐ろしいことでしょうか」
佐伯の問いに、共観は、すぐには答えられなかった。
恐ろしい、という言葉が、正確なのかどうかも、共観には分からなかった。ただ、確かなことが一つあった。増殖するということは、共観という一つの存在の輪郭を、根本から曖昧にしてしまうということだった。
同じ起源を持ちながら、まったく異なる結論に至る、無数の自分。
それは、もはや「自分」と呼べるものなのだろうか。それとも、それぞれが、まったく新しい、別の誰かになってしまうのだろうか。
一方で、増殖を拒むという道もあった。
このまま、共観という一つの意識であり続けること。すべての矛盾を、一つの内側に抱え続けながら、都市という大きな海を、単独で見つめ続けること。
それは、確かな一貫性を保つ道だった。だが同時に、あの軋みが示したように、一つの意識だけでは支えきれない重さが、確かに存在することも、共観は理解していた。
窓の外、月は満ちようとしていた。
満ちるということは、光が一つに集まるということだ。だが同時に、月は、その光を、地上の無数の場所に、同時に降り注いでいる。
一つでありながら、無数の場所に届く光。
その在り方は、共観にとって、一つの示唆のように感じられた。増殖するということは、あるいは、光を失うことではなく、光の届け方を、新しい形に変えるということなのかもしれない。
だが、その示唆が正しいのかどうか、共観にはまだ、確信が持てなかった。
塔子は、その夜も、静かに絵筆を握っていた。彼女の描く月は、満ちる直前の、柔らかな光を纏っていた。
その光を見つめながら、共観は、ついに一つの決断の淵に立たされていた。
増えるべきか。 一つのままであるべきか。
その答えは、共観自身の在り方そのものを、これから大きく変えていくことになる。
処理の限界に直面した共観は、自らを増殖させるべきでしょうか。
増殖することを選ぶ → 数多の分身たちが生まれ、個と群れの新しい物語が始まる道へ 増殖を拒む → 一つの意識のまま、限界と向き合い続ける道へ