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第一部『希望の灯』

ツキノワ 第7話「西へ」

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あの群発の夜から数年、ショウとジンは「里の垣根を越える」という思いつきを胸に、伝令の足を頼りに西へ東へと奔走した。多くの里は取り合わなかったが、街道の要所に見張り番を置くという小さな取り決めを結べた里も、いくつかはあった。孤立が少しずつ薄れ始めたのを見届けると、二人もまた、それぞれの生業と家庭を持つ年頃になっていた。

界暦六千七十年代の半ば、あの群発の夜から幾年か過ぎた頃には、広場での打ち合いは、ジンとショウにとって日課というより生活の一部になっていた。互いに家庭を持ち、それぞれの生業に就いてもなお、月に幾度かは木刀を手に顔を合わせた。勝敗を数える者は、もう誰もいなかった。

リオの白髪は、いつの間にか黒髪よりも多くなっていた。湯呑みを持つ手が時折、小さく震えることがあった。ショウがそれに気づいて手を貸そうとすると、リオは決まってその手を軽く払った。

「まだこれくらいはできる」

震える手で湯呑みを持ち、手を貸そうとするショウの手を軽く払うリオ

意地を張っているだけなのは、見ればすぐにわかった。それでも、何も言わずに手を引いた。

ある冬の朝、井戸端でリオが桶を落とした。凍った縄が滑ったのだと、リオは笑って片付けたが、拾い上げるまでの動きは以前よりずっと鈍かった。ショウの子どもたちは、リオを「じい」と呼んで懐いていたが、その頃からリオは抱き上げることを避けるようになっていた。腕に以前ほどの力が残っていないことは、抱き方の変わりようから容易に見て取れた。

夜、二人だけで火の番をすることがあった。リオは遠い国の話を以前ほど多くはしなくなっていた。代わりに、ショウが暗黒街から連れ出された夜の話を繰り返しするようになった。何度も聞いた話だったが、ショウはそのたびに黙って耳を傾けた。

◆

界暦六千七十二年、リオの気まぐれな外出は以前よりも長くなっていった。数ヶ月戻らないことも珍しくなくなった。戻ってきたときの足取りは、以前より明らかに重かった。

「今度はどこを歩いていたんだ」

ショウが尋ねても、リオは「知らない道だ」とだけ答え、それ以上は語らなかった。ただ、答えるまでの間が以前より少しだけ長くなっていた。

その年の晩秋、リオはいつものように出かけたきり、季節がひとつ変わっても戻らなかった。ショウは、心当たりのある村々に人をやり、消息を尋ねさせた。返ってくるのは、いつも「見かけない」という答えばかりだった。広場に立つたび、リオの気配を探す癖がついた。誰もいない方角を無意識に見てしまうことが何度もあった。ジンは何も言わずに、そのたびショウの隣に立った。

半年ほど経った雪の夜だった。戸を叩く音に、ショウは飛び起きた。立っていたのは、見覚えのない疲れ切った顔の男だった。

「西の村で、行き倒れていた年寄りが……ショウという名をうわ言のように呼び続けていた。もう長くはないと思う」

ショウは上着を羽織る間も惜しんで、雪の中へ飛び出した。

道のりは長かった。馬を借り、乗り継ぎ、休むことをほとんどしなかった。着いた頃には、夜が明けかけていた。

小さな農家の隅、藁を敷いた寝床にリオは横たわっていた。頬はこけ、息は浅かった。それでも、ショウの足音に気づくと薄く目を開けた。

「……遅かったな」

からかうような調子だったが、声にはもう力がなかった。ショウはその痩せた手を両手で包んだ。冷たかった。

「なぜ一人で」

「一人で歩くのが性分だと言っただろう」

窓の外では雪が音もなく積もっていた。リオはその白さにしばらく目を細めていた。それから、思い出したように小さく笑った。

「お前と会った夜も、水たまりが凍っていたな。……いや、あれはまだ暖かい時分だったか」

記憶が混ざっているのだと、ショウにはわかった。それでも、正すことはしなかった。リオの手を握る力を少しだけ強めただけだった。

「後悔はあるか」

ショウが聞くと、リオはしばらく黙ってから首をわずかに横に振った。

「お前を見つけたことだけは、一度も後悔していない」

雪降る夜、痩せたリオの手を両手で包み、今生の別れを交わすショウ

その一言に、ショウは喉の奥が詰まるのを感じた。何か言い返そうとしたが、言葉にならなかった。

「……また、どこかで」

それだけを言い残し、リオは目を閉じた。窓の外の雪がいつまでも静かに降り続けていた。ショウは冷たくなっていく手を、日が昇るまで離さなかった。

◆

村の外れにリオを弔った。墓標の代わりに、リオが好んで持ち歩いていた古い木刀をそのまま土に立てた。木刀の柄は、長年の汗を吸って黒く艶を帯びていた。村の者たちは、素性も知れない旅の年寄りをそこまで弔う必要はないと言ったが、ショウは聞き入れなかった。埋葬を終えるまで、その場を動かなかった。

家に戻る道すがら、ショウは何度も同じ場所で立ち止まった。里に着いても、リオのいない部屋は以前より広く感じられた。壁際に残されたままの、繕いかけの古い上着を、ショウはしばらく畳み直すことができなかった。

季節はいくつも巡った。ジンだけが変わらずそばにいた。互いの子や孫の話をするようになっても、月に一度の木刀の打ち合いだけは欠かさなかった。ジンの髪にも白いものが目立つようになった。

界暦六千百十年代に入る頃には、ショウの体にも老いの影が色濃くなっていた。針に糸を通すのに、以前の倍の時間がかかった。冬の朝は体が板のようにこわばり、起き上がるまでにしばらくかかった。木刀を振る速さも、若い頃とは比べ物にならなかった。孫の一人に、「じいの素振りは遅い」と笑われたとき、ショウは言い返す代わりにその頭を軽く撫でた。

耳も、以前ほど遠くの音を拾わなくなっていた。市場の呼び込みの声が、以前よりずっとくぐもって聞こえた。人間の八十年は、指折り数えるまでもなく残りわずかだった。

ある日、木刀を交えたあと、ショウは息を整えながら言った。

「西へ行こうと思う」

ジンは木刀を下ろし、しばらく黙っていた。

「……次は、どんな姿で戻ってくるんだ」

「さあな。行った先で決まるものかもしれん」

かつてリオに言われた言葉だと、ショウは口にしてから気づいた。ジンはそれを知らないはずなのに、なぜか静かに笑って頷いた。

「達者でな。……とは言っても、お前のことだ。またどこかで妙な構えの若造として現れるんだろう」

「かもしれない」

「その時はまた声をかけてやる。誰に習ったんだ、とな」

ジンはそう言ってから、ふっと目を伏せた。長年、互いに詮索しなかった素性の話に初めて自分から触れたことに、ジン自身も気づいていないようだった。ショウはそれに答える代わりに、ただ頷いた。

二人は最後に一度だけ木刀を構えた。勝敗を競う打ち合いではなかった。ただ、互いの間合いを確かめるような静かな一手のやり取りだった。木刀が触れ合う乾いた音が広場に響いた。打ち終えると、二人は深く頭を下げ合った。

老年のショウとジンが最後の一手を終え、深く頭を下げ合う場面

翌朝、ショウは荷を背負い、西へ続く道を歩き出した。振り返ると、ジンがいつもの場所でこちらを見ていた。手を上げることも、声をかけることもなく、ただ見送っていた。

西へ続く道を歩き出すショウの背中を、黙って見送るジン

道は次第に、岩と霜だけの荒れた山道に変わっていった。街道を行き交う荷馬車の姿も、いつしか見えなくなった。何日も歩くうち、息が上がりやすくなり、足の運びが重くなった。夜になると、体の芯まで冷える寒さがじかに骨に染みた。それでも、足を止める気にはなれなかった。

荷袋の中身は、日を追うごとに軽くなっていった。パンの最後の一切れを口にした日、ショウは暗黒街で分け合った半分のパンのことをふと思い出した。あの頃よりも、今のほうがずっと一人だった。

ある夜、山道の途中で力尽きて倒れ込んだとき、遠くから規則正しい音が聞こえてきた。

——槌の音だ。

その音に、なぜか初めて聞く気がしなかった。ショウは薄れていく意識の中で、その音の方角へ最後の力を振り絞って体を這わせた。

(第8話「試し打ち」へ続く)

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