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第二部『狂乱の黒炎』

ツキノワ 第20話「戸惑いの夜」

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詰所の中は、まだ乾いた血の匂いが薄く漂っていた。氷の床に敷かれた布の上で、負傷した鏡守たちが次々と手当てを受けていた。晒しを巻く者、薬湯を運ぶ者、誰もが無言のまま手を動かしていた。

ショウは壁際に座り込み、剣の柄を握ったまま、しばらく動けずにいた。指先に残る、あの感触のなさ——刃が黒い影に触れた瞬間の、抵抗のなさ——が、まだ消えていなかった。

「手を、見せてみろ」

リオが隣に膝をつき、ショウの右手を取った。かすかに震えていた指先を、リオは何も言わずにさすった。血は出ていなかった。ただ、冷え切っていた。

「怪我は、ない」

「体の話をしているんじゃない」

リオはそう言って、ショウの顔を覗き込んだ。ショウは、それに答える代わりに、小さく息を吐いた。

震える手をリオに包まれ、うつむくショウ

◆

夜明け前、氷の回廊の一角に設けられた伝令室では、鏡守たちが手鏡を並べ、光の点滅で四里へ急報を送る作業に追われていた。西へ、東へ、中央へ——それぞれの里が持つ鏡面へ向けて、光の粒が瞬きながら送り出されていく。

複数の鏡が並ぶ伝令室、中央に灯る鏡守の標

返答は、思いのほか早く届いた。最初に応えたのは西からだった。短く強い光の点滅が三度。「篝火、無事。詳細を求む」——鍛冶組合からの決まり文句だった。次いで東から、歌うような間隔の光。中央からは、やや遅れて、戸惑いを隠せない不規則な点滅が返ってきた。

「黒炎、という言葉が、まだうまく伝わっていないようです」

若い鏡守が、点滅を読み取りながらそう報告した。ミシャラは手にした鏡を握りしめたまま、しばらく黙っていた。

「無理もない。……私たちも、名付けたばかりの言葉です」

◆

明け方近く、負傷者の手当てが一段落した頃、ショウは詰所の外へ出た。凍りついた大地の向こう、南の空はまだ暗いままだった。

「眠らないのか」

リオが、外套を肩にかけながら隣に来た。

「眠れそうにない」

「そうか」

短いやり取りのあと、しばらく沈黙が続いた。ショウがふと隣を見ると、リオは南の方角をじっと見つめたまま、いつもより長く黙っていた。呼びかけようとした瞬間、リオの視線が、ほんの一拍だけ、どこか遠くを見るように揺れた。

「リオ?」

明け方の窓辺、南の方角を見つめる思い詰めた表情のリオ

「……ん」

リオは、すぐにいつもの調子で振り向いた。口の端には、いつもの軽い笑みが戻っていた。

「なんでもない。少し、冷えただけだ」

ショウは、それ以上を聞かなかった。ただ、その一瞬だけ、リオの目に映っていたものが、いつもの光とは違っていた気がして、うまく拭えなかった。

◆

その日のうちに、四里の盟が結ばれて以降ミラシュカに常駐している各里の駐在武官たちが、次々と鏡守の会の広間へ集まり始めた。誰の顔にも、これまでにない硬さが浮かんでいた。

(第21話「水鏡の顔」へ続く)

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