第二部『狂乱の黒炎』
ツキノワ 第26話「翳る眼」
「奥に、もう一つ道がある」
カガリが、回廊のさらに先を指した。壁の記録によれば、その先には、古い伝承で「渦の淵に通じているのではないか」と噂される裂け目があるという。
「本当に、渦の淵だと言えるのか」
ミシャラが問うと、カガリは首を振った。
「学者の推測に過ぎない。確かめた者は、誰もいない。……確かめて、戻ってきた者もいない」
それでも、四人は先へ進むことを選んだ。黒炎の出どころを知るには、他に道がなかった。
◆
裂け目に近づくにつれ、空気が変わった。冷えているのに、どこか焦げたような匂いが混じっていた。壁に刻まれた文字も、この一帯だけ、深く削られたように読み取れなくなっていた。
「気をつけろ。この先は……」
カガリの声が、途中で止まった。先頭を歩いていたリオが、不意に足を止め、そのまま裂け目の縁へ、ゆっくりと歩み寄っていったからだった。
「リオ?」
呼びかけても、返事がなかった。リオの目は、裂け目の奥、闇より濃い暗がりに釘付けになっていた。

◆
「リオ、離れろ!」
ショウが駆け寄り、腕を取ったときには、リオの指先はすでに裂け目の縁に触れていた。触れた瞬間、リオの体がびくりと震え、膝から崩れそうになった。
「……あ」
漏れた声は、リオのものとは思えないほど、遠く、低かった。ショウは、力の限り、その体を抱き寄せた。
「リオ! 俺の声が聞こえるか!」

何度も呼びかけた。応えがないまま、時間だけが過ぎた。ミシャラとカイが駆けつけ、カガリが古い言葉を口にしながら、灯りを二人の間にかざした。
やがて、リオの体から、震えが少しずつ引いていった。
「……悪い。少し、目が眩んだだけだ」
いつもの声が戻った。ショウは、安堵に肩の力が抜けかけた。だが、抱き寄せたまま見つめたリオの目——その奥に、ほんの一瞬、黒い翳りが差したのを、ショウだけが見た。
まばたきの間に、それは消えていた。リオの目は、いつも通りの深紅に戻っていた。ショウは、自分の見たものが何だったのか、確かめる言葉を持たなかった。
◆
その夜、遺跡の外で野営を組む間、カイもミシャラもカガリも、リオの様子に特別な異変を見出さなかった。いつもの調子で、軽口さえ叩いていた。
ショウだけが、焚き火の向こうに座るリオの横顔を、何度も見た。深紅の目は、もう何も映していないように、ただ静かだった。

——見間違いだったのだろうか。
そう思おうとするたび、裂け目の縁で震えたリオの体の重みが、腕の中にまだ残っている気がした。ショウは、その夜、一睡もできなかった。