第二部『狂乱の黒炎』
ツキノワ 第27話「名を捨てる日」
遺跡を発ったあと、リオの様子は、傍目にはすっかり元に戻っていた。カイと軽口を交わし、ミシャラの前でも普段通りに振る舞っていた。だが、ショウの目に、そのすべてが以前より、わずかに丁寧すぎるように見えた。
「大丈夫か、って顔してるな」
野営の火を囲んだとき、リオが先に言った。
「……いや」
「嘘つけ。まあ、いい。心配するな。あんなこと、もう起きない」
言い切る声には、迷いがなかった。だが、その迷いのなさこそが、ショウには、いつものリオらしくないように感じられた。

◆
帰路、再びソウの集落に立ち寄ったとき、ちょうど男——ソウと名乗る男が、荷を積んだ荷車を見送っていた。表情に、どこか落ち着かないものがあった。
「どうした」
ショウが問うと、男は荷車が遠ざかるのを見送りながら、ぽつりと言った。
「南の連中が、この稼業から手を引くと言い出してな。黒炎が、荷の行き来を止めちまった。……もう、ソウを継ぐ次の誰かも、当分現れないだろうな」
「それは」
「かまわん。……いい機会だ。俺も、そろそろこの名を返す頃合いだったのかもしれん」
男は、そう言うと、初めて自分の名を口にした。短く、静かな響きだった。ショウの記憶にある、暗黒街の商人の名とは違う、まったく別の名だった。
「以後は、その名を使え、と言いたいわけじゃない。……ただ、誰かに聞かれてもいないのに名乗ったのは、久しぶりだったから、言っておきたかっただけだ」
男は、それだけ言うと、背を向けて集落へ戻っていった。ショウは、しばらくその背を見送ったあと、自分自身の名――リオに与えられた「ショウ」という響きのことを、思わず考えた。借りた名で生きることの意味を、また少し、違う角度から知った気がした。

◆
その後の道中、四人は、これまでにない緊張を感じ始めていた。街道の先々で、黒炎の気配を纏った小さな影が、遠目に何度も見え隠れした。攻撃してくることはなかったが、まるで見張られているようだった。
「様子見、というやつか」
カイが、剣の柄に手をかけたまま呟いた。ミシャラは、地図を確かめながら、硬い声で言った。
「四里の盟へ、急ぎ知らせを送ろう。黒炎の一団が、動き出している」
リオだけが、その影の群れを、いつもより長く見つめていた。ショウが名を呼ぶと、いつもの調子で振り返った。だが、その一瞬の遅れを、ショウは見逃さなかった。

◆
その夜、ショウは、これまで誰にも話さなかった裂け目の一件を、ミシャラに話そうとした。だが、言葉を選ぶうちに、機を逃した。
——確証もない話を、今、口にすべきなのか。
迷いだけが募った。リオを問い詰めることも、誰かに相談することもできないまま、ショウは、拭えない不安だけを抱えて、南からの帰路を歩き続けた。