← 小説目次に戻る 小説

第二部『狂乱の黒炎』

ツキノワ 第29話「絶やさぬ灯」

文字サイズ

北への道を、三人は無言で歩き続けた。荒れた岩地を抜けるまで、誰も口を開かなかった。焚き木の煙の匂いも、鏡の触れ合う音も、四人でいたときより、ずっと軽く、ずっと寒々しく感じられた。

「……追うべきだった」

ようやくカイが口を開いたのは、岩地を抜けて氷原に差しかかった頃だった。剣の柄を握る手に、力がこもっていた。

「あの場で追っていれば、まだ」

「無理だ」

ミシャラが、肩の傷を押さえながら遮った。

「あの数の影の中へ、一人で飛び込んで、何ができた。お前まで失えば、それこそ何も残らない」

カイは、なおも何か言いかけて、結局、言葉を飲み込んだ。拳だけが、白くなるまで握られていた。

◆

ショウは、二人より少し遅れて歩いていた。頭の中では、リオの最後の言葉が、何度も繰り返されていた。

——また会おう。……お前が、殺す気になったらな。

殺す、という言葉の意味を、ショウはまだ受け止めきれずにいた。あれほど長く、数百年にもわたって隣にいた者に、そんな言葉を向けられる日が来るとは、考えたこともなかった。

剣の柄を握る手に、汗が滲んでいた。何度拭っても、すぐにまた滲んだ。

氷原を一人遅れて歩き、リオの最後の言葉を思い返すショウ

◆

氷の回廊が見えてきた頃、先に着いた鏡守の会からの使いが、駐在武官たちを引き連れて出迎えた。ミシャラが、努めて平静な声で報告を始めた。だが、「同行者の一人が、黒炎側についた」という一言を口にした瞬間、その場の空気が、目に見えて凍りついた。

「同行者が……? 四里の盟の名で送り出した調査隊の一人が、ですか」

若い駐在武官が、声を上ずらせた。ミシャラは、それ以上を語らず、ただ頷いた。何をどう説明しても、事の重さは変わらないと分かっていたからだった。

◆

その夜のうちに、報せは水鏡を通じて西・中央・東の里へも送られた。返答は、翌朝までにすべて届いた。動揺と困惑に満ちた文面が並ぶ中、一通だけ、様子の違うものがあった。差出人は、鏡守の会に古くから仕える、年老いた鏡守の一人だった。

「恐れていたことが、ついに起きたのかもしれません」

短い一文だけが、記されていた。ミシャラは、その文を何度も読み返した末、誰にも見せずに、そっと懐へしまった。

◆

「何が書いてあった」

ショウが問うと、ミシャラはしばらく黙っていたあと、静かに首を振った。

「……古い者の、ただの繰り言だ。今は、気にしなくていい」

はぐらかされたのだと、ショウにはすぐに分かった。だが、ミシャラの顔に浮かんだ影の色は、はぐらかしだけでは片づけられないものに見えた。問い詰める気力は、今のショウには残っていなかった。

◆

詰所に戻った夜、ショウは一人、水鏡の間へ足を向けた。あの夜と同じように、大きな氷盤の水面が、鈍い月明かりを映して揺れていた。

覗き込んでも、そこにはただ、疲れ切った自分の顔があるだけだった。あの、最初の器の貌も、リオの姿も、何一つ映らなかった。

「……何か、教えてくれてもいいだろう」

水鏡の間で氷盤の水面を覗き込むが、自分の顔しか映らない孤独なショウ

呟いた声に、応える波紋はなかった。水面は、ただ静かに、ショウの顔だけを映し続けていた。手がかりは、どこにもなかった。

◆

水鏡の間を出ると、詰所の外に、小さな焚き火が灯っていた。カイが一人、火の番をしていた。しばらくして、肩の傷を晒に替えたミシャラも、無言でそこに加わった。

三人分の影が、焚き火の周りに落ちていた。四人でいた頃より、一つ分だけ、暗い場所が広く空いていた。

「……見つける」

詰所の外の焚き火を囲む三人。一つ分暗く空いた場所を抱えながら灯を絶やさない

ショウが、誰へともなくそう言った。カイもミシャラも、何も問い返さなかった。ただ、それぞれの持ち場で、火を絶やさぬよう薪をくべた。

手がかりは、まだどこにもない。それでも、三つの灯だけは、消えずに、夜の中で揺れ続けていた。

(第30話「滲む輪郭」へ続く)

← 小説目次に戻る ← 前の話へ 次の話へ →