第二部『狂乱の黒炎』
ツキノワ 第30話「滲む輪郭」
灯の民の遺跡から届いた記録の写しが、鏡守の会の一室いっぱいに広げられていた。カガリが現地で書き写した壁面の文字と、北の地に代々伝わる渦の淵の古い記録――二つを並べたのは、年配の鏡守の一人だった。
「この印、見覚えがある」
老いた鏡守が、震える指で二枚の紙を指した。渦の淵の見張り小屋に伝わる古い封の印と、遺跡の奥に刻まれていた印は、細部こそ違ったが、明らかに同じ形の名残を持っていた。
「南の果てと、北の果て。何百年も、繋がりなどないと思われてきた場所だ」
ミシャラが、腕を組んだまま二枚の紙を見比べた。
「それが、同じ根から出ているとしたら」

誰も、その先を口にしなかった。
◆
「黒炎の正体について、一つ、思うところがある」
同席していた学者肌の駐在武官が、遠慮がちに切り出した。
「曇りは、いつも一体で這うように現れる。だが黒炎は、初めから群れて、示し合わせたように動く。……もしや、曇りが幾つも幾つも寄り集まり、一つの塊にまで育ったものではないか」
「一体一体は、同じものだと」
ショウが問うと、武官は頷いた。
「確証はない。だが、そう考えれば、あの統率された動きにも説明がつく」
一室に、また重い沈黙が落ちた。小さな脅威が積み重なって大きな脅威になるという話は、誰にとっても、あまりに身近すぎた。
◆
その日の夕方、南の前線に出ていた斥候の一隊が、傷を負って戻ってきた。カイが真っ先に駆け寄った。
「何があった」
「黒炎の群れの中に……妙なのが、いた」
若い斥候は、息を切らしながら言った。
「群れの中を、迷いなく動く影が一つ。他の影とは、明らかに違う動きだった。得物を、短剣のように振るっていた」
その一言に、ショウの喉が詰まった。カイが、拳を握り締めたまま、何も言えずにいた。

「顔は、見たか」
ミシャラが静かに問うと、斥候は力なく首を振った。
「フードのようなものに、深く隠れていた。……ただ、動きに、覚えがある気がして。うまく、言葉にできません」
◆
その夜、ショウは詰所の窓辺で、一人長い間、南の空を見つめていた。斥候の言葉が、頭の中で繰り返し鳴っていた。

得物を、短剣のように振るっていた。
黒炎の群れは、もはやただの災厄ではなく、内側に何かを――誰かを、抱え込んでいる。輪郭は、まだ何も定まらない。それでも、その滲んだ形が、少しずつ、確かなものに近づいているような気がしてならなかった。