第二部『狂乱の黒炎』
ツキノワ 第31話「振り下ろせぬ刃」
氷の回廊の外縁、篝火の網の最前線に、四つの里の力が初めて一堂に会した。西の鍛冶組合が鍛えた盾の列、中央の手合わせ衆の剣士たち、東の歌合の会が声を合わせて放つ合図の歌、そして北の鏡守たちが掲げる無数の手鏡。
「これが、四里の盟の全部だ」
カイが、剣を抜きながら呟いた。ミシャラは、手鏡を高く掲げ、静かに頷いた。

◆
夜明け前、地平の向こうが、まず黒く滲んだ。数十どころではない、これまで見たどの群れよりも大きな黒炎の奔流が、地を這うように押し寄せてきた。
「来るぞ! 盾、構え!」
号令が響き渡ると同時に、戦線のあちこちで剣がぶつかり合う音、鏡の光が弾ける音、歌が乱れながらも途切れず続く声が、一気に満ちた。ショウも剣を構え、押し寄せる影の一体を薙ぎ払った。
◆
戦線の中ほどで、悲鳴が上がった。中央の剣士たちの一角が、瞬く間に崩れていた。崩したのは、群れではなかった。一人――いや、一体の影が、恐ろしいほど正確な太刀筋で、次々と剣士たちを打ち倒していた。
「リオ……!」
ショウが叫んだ。振り向いたその目は、あの日と同じ、黒く塗り替えられたものだった。カイが怒りに任せて斬りかかったが、あっさりと弾かれ、地に転がされた。
「カイ!」
ミシャラの鏡の光が割って入り、辛うじてとどめを防いだ。
◆
「また、会ったな」
リオの声は、いつもと変わらなかった。ショウは剣を構え直したが、足が地に張りついたように動かなかった。
「今日は、迷わないのか」
挑発するような声に、ショウはようやく前へ踏み出した。剣先が触れ合い、火花が散った。何合か打ち合ううちに、ショウはついに、大きく踏み込んで剣を振り上げた。
だが、振り下ろせなかった。

黒く染まった目の奥に、ほんの一瞬――ショウにしかわからないほどのわずかな間、いつもの深紅の色が滲んだ気がしたからだった。
「……っ」
リオは、その隙をつくように身を翻し、影の群れの中へ後退していった。追おうとしたショウの前に、次から次へと別の影が立ちはだかった。
◆
夜が明けきる頃、黒炎の奔流は、一度、潮のように引いていった。戦線は崩れずに持ちこたえたが、負傷者の数は数え切れなかった。カイは肩を押さえながら、悔しさを滲ませて地面を殴りつけた。
「なんで、斬れなかった……!」
「斬れるはずがない」
ミシャラが、静かに、しかし断言するように言った。
「斬れないのは、お前たちが弱いからじゃない。それだけの絆が、まだそこに残っているというだけだ」
ショウは、何も答えられなかった。ただ、振り下ろせなかった剣の重みだけが、いつまでも手のひらに残っていた。
