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第二部『狂乱の黒炎』

ツキノワ 第32話「解かれた一節」

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一度目の総力戦を凌いだあと、四里の盟の陣にはしばらく、束の間の静けさが戻った。だが誰も、それが長く続くとは思っていなかった。

「次が来たとき、篝火と歌と鏡だけで、また持ちこたえられるか」

軍議の場で、西の鍛冶組合の古参がそう切り出した。誰も、確かな答えを持たなかった。

◆

「東の禁忌の地に、伝わっているものがある」

沈黙を破ったのは、東の歌合の会から遣わされた、老いた歌い手だった。

「第七連。歌ってはならないと、代々戒められてきた歌だ。……ローエン様が、生涯かけて守り抜いた掟でもある」

ショウは、その名を聞いた瞬間、遠い日の記憶が胸を突くのを感じた。禁忌の地の奥、リオを失ったあの日、精霊にすがろうと足を踏み入れた場所――あの掟の名を、こんな形でまた聞くとは思わなかった。

「内容は、わかっているのか」

ミシャラが問うと、老いた歌い手は頷いた。

「一節だけなら。ローエン様が、万一のためにと言い遺した写しが、歌合の会に伝わっている」

◆

古びた紙に記された一節は、これまで四里のどの歌にも似ていなかった。節回しは奇妙に長く、聞く者の耳をどこか遠くへ引っ張っていくような響きを持っていた。老いた歌い手が、声には出さず、ただ文字だけを指でなぞりながら読み上げた。それだけだというのに、紙面をなぞる指の動きに合わせて、あたりの空気がわずかに共鳴して震えるのを、その場にいた誰もが肌で感じ取った。

古びた紙に記された第七連を指でなぞる老いた歌い手。その動きに合わせ、あたりの空気がわずかに共鳴して震える

「……届け、この声、地の果てより先へ。閉ざされたものの、その奥へ」

一室に、ひやりとした沈黙が落ちた。

「地の果てより先、とは」

ショウが問うと、老いた歌い手は首を振った。

「わからない。……ただ、ローエン様は、これを歌えば、この地の内側にはとどまらないものが届いてしまう、とだけ仰っていた。何に届くのか、なぜそれが禁忌なのか――そこから先は、誰にも明かされなかった」

◆

「渦の淵と、繋がっているのか」

ミシャラが、静かに、しかし鋭く問うた。老いた歌い手は、しばらく黙り込んだあと、小さく頷いた。

「渦の淵と、繋がっているのか」と鋭く問うミシャラと、沈黙の末に小さく頷く老いた歌い手

「その可能性は、ローエン様も否定しなかった。……だからこそ、迂闊に使えば、渦の淵の封そのものを刺すことになりかねない、と」

軍議の場に、重い空気が満ちた。使えば届くかもしれない力。だが、何が引き寄せられるかもわからない賭け。

「使わない」

ミシャラが、きっぱりと言った。

「まだ、他の手が残っている。禁忌は、禁忌のままにしておく」

西の鍛冶組合の古参が、渋い顔のまま小さく頷いた。カイは、納得しきれない様子で剣の柄を強く叩いたが、それ以上言葉にはしなかった。誰も、異を唱えなかった。

◆

軍議のあと、ショウは一人、その一節の写しをもう一度見返した。地の果てより先へ、閉ざされたものの、その奥へ――言葉の意味は、依然としてつかめなかった。それでも、なぜか胸の奥が、細い糸で強く引かれるような気がしてならなかった。

軍議のあと一人、第七連の写しを見返すショウ。胸の奥が細い糸で強く引かれるような感覚を覚えている

答えは、まだどこにもなかった。ただ、確かめてはいけない何かがそこにあるのだと、ショウは初めて、はっきりと感じ取っていた。

(第33話「届かなかった声」へ続く)

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