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第三部『銀月、還る』

ツキノワ 第35話「残り火」

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結界の光が消えてから、幾月かが過ぎた。氷の回廊の外縁では、時折、小さな黒い影がまだ這い出してくることがあった。以前のような奔流ではなく、傷を負った獣がよろめくような、弱々しい這い方だった。それでも、詰所の誰もが、気を抜けなかった。手入れの手が回らなくなった詰所の氷壁は、以前の透き通るような輝きを失い、うっすらと白く濁り始めていた。

「また出た。今度は西の外れだ」

若い鏡守が駆け込んでくるたび、ショウは反射的に立ち上がるようになっていた。剣を握る手には、もう迷いはなかった。ただ、振るうたびに、あの日振り下ろせなかった重みだけが、静かに肩に残った。

◆

四里の盟の評議の場では、以前とは違う種類の緊張が満ちるようになっていた。

「これ以上、西の鍛冶組合だけが警備の人手を割くのは限界がある」

西から来た代表が、疲れた声で言った。

「渦の淵の守りも、南の警戒も、どちらも手が足りない。だが、どちらを削るという話にもならない」

あの総力戦で負った肩の傷がまだ完全には癒えぬまま、濃い疲労の色を顔に張りつかせたミシャラが、静かに、しかし譲らぬ声で答えた。

「削れば、次に崩れるのがどちらかも分からない。九百年、それだけは学んだ」

一室に、これまでにない種類の重い沈黙が落ちた。誰も、間違ってはいなかった。だからこそ、出口が見えなかった。

◆

「一人では戦わない、というのが盟の理念だったはずだ」

カイに代わって新たに遣わされた、中央の手合わせ衆を代表する若い武官が、苦い顔で言った。カイのような熱を帯びた目つきではなく、どこか事務的で冷めた眼差しをした男だった。

「だが、コストを分け合うという話になった途端、誰もが自分の里を一番に考える。それも、また人としては当然だ」

誰も、それに反論できなかった。四里の盟という仕組みそのものが、初めて内側から軋む音を立てていた。

どの里にも属さないショウは、その現実的な議論の輪に入ることができず、ただ黙って俯くことしかできなかった。戦場でなら剣を振るえる。だが、この場では、何の力にもなれなかった。

◆

評議を終えた夜、ショウは一人、水鏡の間へ向かった。あの夜からずっと、通うことをやめられなかった。氷盤の水面は、今夜も静かにショウの顔だけを映していた。

「……何か、変わってくれてもいいだろう」

呟いても、答える波紋はなかった。それでも、ショウは根気強く、その場に立ち続けた。手がかりのない喪失を抱えたまま、それでも前へ進む方法を、探し続けるしかなかった。

くすぶる残り火は、まだどこにも消えていなかった。世界の軋みも、ショウの中の喪失も、同じように、静かに、燻り続けていた。

(第36話「名乗らぬ客」へ続く)

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