第三部『銀月、還る』
ツキノワ 第39話「月の裏側」
渦の淵の見張り小屋、九百年分の記録の底から、ミシャラがついに一枚の紙片を見つけ出した。
「これだ」
古い文字は、記録者が残した紙片と同じ筆致だった。ミシャラが、震える指でその一文をなぞった。
「……月の裏側」
その言葉を、ミシャラが初めて口にした。ショウは、体の奥に、覚えのある重い予感が走るのを感じた。
◆
「月の裏側、というのは」
ショウが問うと、ミシャラは首を振った。
「分からない。ただ、この記録には、渦の淵がその"裏側"へ通じている、とだけ書かれている」
「空にあるはずの月が、なぜ地の底と繋がっている……?」
ミシャラの声が、これまで積み上げてきた常識の外側へ押し出されたように、かすかに掠れた。
裏側——金色に染まったまま、ずっと戻らないあの月に、まだ誰も見たことのない側があるという。その響きだけで、これまでの伏線の欠片が、少しずつ引き寄せられていくような気がした。
◆
その夜、南の前線に出ていた斥候の一隊が、また傷を負って戻ってきた。カイが真っ先に駆け寄った。
「今度は、何を見た」
「黒炎の残り火の中に……あの、短剣を持つ影が、また」
若い斥候の声が震えた。
「今度は、こちらを見ていました。……はっきりと」
ショウの喉が、詰まった。あの日と同じ、短剣の使い手。目撃情報は、これで何度目かになっていた。
◆
「見ていた、というのは」
ミシャラが静かに問うと、斥候は頷いた。
「フードの奥から、確かに。殺気は、まるでありませんでした。……剣を下ろしたまま、まるで道標のように、ただじっとこちらを見据えていて。何かを、伝えたがっているような」
その一言に、ショウは何も言えなかった。伝えたがっている——それが希望なのか、警告なのか、判断する材料はどこにもなかった。
その夜、ショウは水鏡の間で、いつもより長く水面を見つめ続けた。月の裏側という新しい言葉と、こちらを見ていたという断片的な目撃情報——二つの欠片が、静かに、しかし確かに、ショウの中で結び付き始めていた。