第三部『銀月、還る』
ツキノワ 第50話「振り下ろした一撃」
裂け目を抜けた先に広がっていたのは、光の届かない、濃い暗がりだった。足を踏み入れた瞬間、闇の奥から、無数の影が一斉に沸き上がった。
「囲まれてる」
リオが低く呟いた。人の形をなさない黒い腕が、四方から二人へ伸びてくる。
◆
ショウは、無銘の直剣を抜き、迫る影の一体を斬り払った。刃が肉ではない何かを裂く、鈍く重い感触が、柄を通して腕に伝わってくる。木刀を握っていた頃とは違う、金属特有の冷たい重みだった。
だが、その重みの奥にあるものは、変わっていなかった。振り下ろす。受け止める。踏み込む。かつて手合わせで幾度となく交わした太刀筋の記憶が、体に染みついたまま動いていた。
リオの短剣が、すぐ隣で唸る。人の目では追えない速度で、迫る影を次々と斬り裂いていく。かつて──ミシャラの前で剣を交えたあの日、ショウには受け止めるだけで精一杯だった、あの規格外の速さだった。だが今は、恐怖ではなく、頼もしさとして、その速さがショウの隣にあった。
◆
「後ろ!」
リオの声に、ショウは咄嗟に身を捻った。一瞬遅れていれば、爪のような影の一撃が背を裂いていただろう。かわしざま、ショウは剣を横に薙いだ。刃が影を捉えた瞬間、根元からぎしりと軋む音がした。押し返される力が、これまでのどの一撃よりも重い。
「数が、多すぎる……!」
息が乱れる。精霊の力を宿した手のひらの光が、消耗のためにわずかに揺らいだ。囲みが、少しずつ狭まってくる。
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その時、リオが、ショウの前に立った。
「お前は、下がるな」
短剣を大きく振るい、迫る影を一息に薙ぎ払う。かつて、ミシャラの前でこの剣先がショウへ向けられた夜があった。振り下ろせなかった木刀の重みを、ショウは今も忘れていない。だが今、その同じ刃は、ショウを守るために振られていた。
「俺は、下がらない」
ショウも、剣を握り直した。リオの背に、自分の背を合わせる。二人の得物が描く軌跡が、絡み合うように、けれど一度も邪魔することなく、影の群れを一体、また一体と斬り裂いていった。
かつて交えられなかった刃と、今、共に振り下ろす一撃。同じ手が、同じ剣を、今度は同じ方向へ振っている。それだけで、ショウの胸に、これまでのどんな言葉よりも確かな実感が満ちていった。
◆
やがて、影の群れが、潮のように引いていった。囲みの向こうに、これまでよりも一段と深い暗がりが、静かに口を開けていた。その奥から、巨大な気配が、絶えず滲み出している。
「あれが、本体か」
ショウが問うと、リオは、剣についた黒い滓を払い、静かに頷いた。
「たぶん、な」
肩で息をしながらも、二人は、互いの手を一度だけ強く握り合った。まだ、終わっていない。それでも、この暗がりの奥へ向かう足に、迷いはもうなかった。