第三部『銀月、還る』
ツキノワ 第51話「二人の封印」
影の群れの向こうに広がっていたのは、これまで見たどの暗がりよりも深い、静かな虚無だった。黒炎の魂そのものと思われる、巨大な気配が、そこに渦巻いていた。
「これが、月の裏側」
ショウが呟くと、リオが隣で剣を構え直した。
「今度は、逃げない」
◆
気配が、獣のような唸りを上げて、大きくうねった。無数の黒い腕のような形が、暗がりの奥から一気に伸び、二人を呑み込もうと迫る。
ショウは剣を振り上げ、迫る腕を斬り払った。手応えが、これまでのどの影とも違う。骨まで震わすような重さが、柄を通して腕全体に響く。踏みとどまった足が、地面に深くめり込んだ。
「くっ……!」
弾かれた体が、大きく後ろへ流れる。リオが、すぐにその腕を摑んで支えた。
「一人じゃ、届かない相手だ」
リオの声に、ショウは頷いた。剣だけでは、この気配に届かない。それは、最初から分かっていたことだった。
◆
ショウは、精霊の力を宿した手を、リオの手に重ねた。
「一緒に」
「一緒に」
二人の光が、重なった瞬間、暗がりの奥で、何かが大きく震えた。神話の時代から積み重なった愛の力が、初めて、一つの意志として、黒炎そのものへ向かっていった。押し寄せていた黒い腕が、光に触れた場所から、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
気配が、なおも抗うように激しく暴れた。暗がり全体が唸り、地の底から突き上げるような衝撃が、二人の足元を揺らした。それでも、重ねた手の光は、消えなかった。
◆
「還れ。お前が捨てられた場所へ」
ショウの声に、リオの光が、応えるように強く輝いた。黒炎の気配が、悲鳴のような唸りを上げながら、少しずつ、暗がりの奥深くへ引き込まれていった。最後に、一際大きな震えが空間全体を揺らしたあと、その気配は、大きな渦となって、月の裏側の奥へ、永遠に封じ込められた。
静寂が、戻った。
◆
「これで、終わったのか」
ショウが問うと、リオは、静かに首を振った。
「終わりじゃない。……ここからは、俺たちが、この封を守る役目だ」
その言葉に、ショウは、驚くほど自然に頷いた。神話の時代、果たせなかった願い——リオのもとへ渡ること——が、こんな形で、ようやく叶っていた。
「ここに、残るのか」
「お前がいるなら、どこでも構わない」
リオが、そう言って、初めて、深紅の目を柔らかく細めた。ショウは、その手を、もう一度強く握り返した。
月の裏側の静かな暗がりの中、二人だけの光が、いつまでも、静かに、確かに灯り続けていた。